2021-04-02 第204回国会 衆議院 法務委員会 第9号
そこに黄色く線を引っ張っているところを紹介しますと、「昨年七月支那事変勃発し、挙国一致国難に当るの時に際会し、少年保護事業もここに新なる重大な責務を担当することになった」と。ちょっと飛びますが、「少年保護事業の革新的飛躍と発展とを図る」とあるわけであります。
そこに黄色く線を引っ張っているところを紹介しますと、「昨年七月支那事変勃発し、挙国一致国難に当るの時に際会し、少年保護事業もここに新なる重大な責務を担当することになった」と。ちょっと飛びますが、「少年保護事業の革新的飛躍と発展とを図る」とあるわけであります。
少なくとも満州事変が支那事変に拡大し、少なくとも戦争というのにずっと遂行していくためには国家体制というものを極めて統制的なものにしていったというあの時代にでき上がったものは数多くあるんですが。
琉球列島の昆虫相は、九州から南下した旧北区系要素、台湾から北上した東洋区系要素、あるいはインド・インドシナ北部や中国大陸に起源を持つ西部支那系要素など、由来の異なる分類群が複雑に入り混じり、それらが海水面の変動や島の隆起沈降に伴う分布域の分断、隔離によって多数の固有種や固有亜種に分化したと考えられています。
この物品税、何と、昭和十二年の八月、支那事変戦費調達目的税で創設されたんですよ。昭和十二年ですよ、麻生さん。そのときの根拠は、戦費の調達を第一義とし、同時に、しゃし的、大変難しい字を書きますけれども、奢侈的消費抑制、豪華なもの抑制。販売抑制の思想はここから来ているんですよ。まさにここから来ているんですよ。
ところが、ASEAN七カ国の中にミャンマーも含まれておりますが、このミャンマーという国が位置する地勢は、ずっとずっと昔にさかのぼると、これは大東亜戦争前の話ですけれども、蒋介石をアメリカ、英国が応援する、援蒋ルートと呼ばれた、物資を中国大陸へ運び込むためのルートがミャンマーから当時の支那へ通じておったわけです。 同じようなことが今、中国はそのルートを確保しようと。
先日、ドイツを訪れた中国の習近平国家主席が講演で、支那事変時の日本軍による南京攻略戦について、日本は三十万人以上を虐殺した、また、支那事変全体で中国人三千五百万人以上に死傷者が出たと発言しました。この問題では中国の主張に根拠がないことは明白です。
支那事変以降の戦没者数は三百十万人、このうちの八十万人が民間人の犠牲者というふうに言われています。東京大空襲の犠牲者は十万人。 私の祖母、さっき祖父の話をしましたが、祖母は、大正十一年生まれ、東京の深川で生まれて育っています。東京大空襲で焼け出されて群馬県の伊勢崎に引っ越して、向こうで祖父と結婚をしました。
これらの軍人墓地は明治以降、順次、全国各地に建設をされまして、日清、日露、満州、支那、それから第二次大戦、大東亜戦争で亡くなった陸海の軍人の御遺骨が納められています。 戦前まではそれぞれが法令に基づいて管理をしていたようでございます。ところが、第二次大戦後、さきの大戦に負けて、昭和二十年十二月に陸軍省、海軍省が解体をされました。
この文書を読んでいただきますと、真ん中の三段目のところでありますが、「三十三連隊は、陸軍時代にあっては、日露戦争、支那事変に参戦し数々の戦果をあげ精強部隊として名を轟かせましたが、大東亜戦争では、無念にもフィリピンのレイテ島において玉砕を遂げられました。」
○浅尾慶一郎君 時間の関係で文民統制の質問に移らさせていただきたいと思いますが、政府において、これは言葉狩りをするという意味ではありませんけれども、大東亜戦争あるいは支那事変という用語を政府関係者が対外的に使用するということはどのように考えておりますか。
また、支那事変という言葉も一般には使わないということでありますが、お配りいたしました「鵬友」の平成十八年三月号、これは田母神さんの後任の航空幕僚長になりました人でありますが、大東亜戦争という言葉を使っております。
削除は戦前にもありまして、日米開戦二年近く前、一九四〇年二月、衆議院の本会議、これは歴史に残る、民政党の斎藤隆夫議員の支那事変処理に関する代表質問、これが議長によって半分以上が議事録から削除された。
○小原政府参考人 支那派遣軍の毒ガス戦教育の参考書であると言われております「化学戦教育之参考」という中におさめられております「極秘敵軍毒瓦斯使用調査 支那派遣軍化学戦教育隊」という資料がございまして、この資料の中で、一九三七年十二月から三九年九月までの間、中国軍が日本の支那派遣軍に対して毒ガス兵器を使用したというような記述があるということを承知しております。
「旧第一〇方面軍による中国軍への化学兵器引渡事案は、旧支那派遣軍の化学兵器引渡事案と連動しない事案であると推察する。」とあるんです、「推察する。」と。これは、連動してしまうと遺棄化学兵器のこの枠組みがおかしくなるから、違うということを必死に言いたいわけですよ。
一九三八年の二月二日、国際連盟理事会第百会期第六会議、支那問題に関する決議が採択されているんですけれども、中国代表が採択に当たって行ったとされる南京攻略戦での日本軍非難演説の内容は、決議文に取り入れられていないと承知しておりますけれども、いかがでしょうか。
○伊原政府参考人 今先生御指摘の国際連盟理事会の決議でございますが、これは、一九三八年の二月二日、国際連盟理事会の第百会期の第六会議において、支那問題に関する決議という名前のものが採択されております。
一つ目の資料は、日本が中国への全面的な侵略戦争を開始した翌年の一九三八年一月十一日に決定された「「支那事変」処理根本方針」なる文書であります。これは、御前会議、すなわち天皇の出席のもとに、政府と軍の首脳部が集まる日本国家の最高の戦争指導機関の最初の決定です。まさしく、戦争遂行に当たっての国策を述べたものであります。
そして、当時、中支那派遣軍の兵器廠があった南京には倉庫が二十棟以上あったというんですね。その倉庫番号の十三号、十四号というのは、この資料三の二ページ目の真ん中にあります十三号、十四号の、その下に九四水上発煙筒八・七トン、それから同じように九四水上発煙筒五トンという形で、非常に量が多くなると、何発とかいうことでなしに、トンという単位でもって引き継がれてあるわけであります。
大陸指第二千五百五十二号、これは別の文書でありますが、「支那、台湾、北緯十六度以北ノ仏領印度支那ニ於テハ蒋介石ニ対シ実施スルモノトス」、引き渡しを実施するものとすということですよ。これは遺棄されたと言えるんですか。 まだある。これは防衛庁防衛研修所から出された書物でありますが、この中に書いてあるのは、総司令官は九月一日、停戦協定に関する事前稟議事項として左記を中国側に申し入れた。
彼らは安全区には爆弾や砲撃をされないと保証する立場にはないが、その地域が軍用目的の支那軍に使用されない限り、日本軍は攻撃をする意思はないと考えているようだった、これがミルズからの手紙です。そこで彼が書いたのが、信仰に基づいて我々は何とか守りたいと。彼らはキリスト教徒でありますから。 彼らはこのことによって、つまり、大虐殺があったとすれば、彼らの行動は無意味だったんですよ。
○政府参考人(西宮伸一君) 御指摘の在上海総領事館、広田外務大臣当時のことでございますが、まず、発出した電報につきましては、外交史料館に保存されております簿冊、支那事変関係、これ、原語が支那事変と書いてありますのでそのように申し上げますが、支那事変関係百六十三冊ございまして、すべて公開済みでございます。この中にいろんなものが含まれている可能性がございます。
中国では戦争に勝っているから続けてやると言ったのが支那派遣軍司令官の岡村寧次将軍だったけれども、暴に報いるに徳をもってすると蒋介石が言ったから、それで仕方なしに、岡村寧次将軍は、本当は天皇を満州に移して最後まで徹底抗戦をしようという計画が陸軍にはあったけれども、それを断念されたのはそういう事情なんですという話をしました。